原作『商道』の舞台・京畿道広州市で私が出会ったものーサンオクとハルモ二が重なる場所

韓国ドラマサンドのファンならば誰でも知っているサンオクが戒盈杯(ケヨンぺ)の秘密を探るため、京畿道広州郡を訪ねたことが原作の下巻に出て来ます。

私はそこを読みながら京畿道広州市で自分が元慰安婦に会ったことを思い出しました。日本のブロガーで実際に元慰安婦に会ったことのある人は何人いるだろうか?私の経験はつたないブログでも記録に残しておくべきではないか、そう思ってこのブログを書きました。

原作『商道』下巻のサンオクの京畿道広州郡への旅

原作『商道』下巻ではサンオクが戒盈杯の秘密を探るため、京畿道広州郡にある司饗院(宮中の食事に関することを司った官庁)が設置した官営沙器製造所を訪れる場面が出て来ますが、広州郡は原作では「古くから京畿道広州土地は良い米と美人で有名な所」と書かれています。そこは現在の広州市でソウル近郊の山深い所にあり、高麗青磁、朝鮮白磁など李朝500年の陶磁文化が息づく都市です。

私は第18章の「戒盈杯の秘密」を読みながら、2012年に出会ったナヌムの家(나눔 의 집 分かち合いの家という意味)のことを思い出していました。それは留学先の大学の授業の一環として、広州市にある元慰安婦達が共同生活している施設を訪問した経験でした。ソウルからバスで行きましたが、その建物は山に囲まれた処にあり、日本軍「慰安婦」歴史館を併設するものでした。

サンオクは義州から徒歩で京畿道広州郡へ向かいましたから、ソウルからバスで行った私よりはるかに時間がかかったことでしょう。というよりバスで行ったとは言え、私は元々は日本からやってきたのであり、200年前に国内移動したサンオクとは違います。それでも、時代を超え二つの旅が重なるのは何とも不思議な気持ちがしました。

ナヌムの家であったこと

ナヌムの家にはハルモ二(おばあさん)と呼ばれる、かつて日本軍の慰安婦であったと主張する高齢の韓国人女性が10人位住んでいました、そして、その方達は日本語がとても上手だったのです。

訪問する前の私は日本人として、彼女等から恨まれるてるようなことを言われるのではないかという不安が多少ありました。しかし、それは杞憂でした。彼女等は私の前で日本の歌謡曲を歌ってくれたり、寿司や天ぷらなど日本の食べ物の話をしてくれたり、とっても友好的だったのです。昔は慰安婦としての辛い経験があったのは分かっていましたから、私もそのことは話題にしませんでしたが、彼女等もそんなことがあったことは微塵も感じさせない明るさでした。

それでも、彼女等は毎週水曜日にはソウルの日本大使館前の慰安婦像の前で日本政府の公式な謝罪と賠償を求めるデモ(水曜デモ)に参加していると言ってました。

たまたまそこにインチョン外国語高校の学生が来ていて、急遽、慰安婦問題について合同討議会をやることになり、若い韓国の高校生の意見を聞くことが出来ました。当時の日本の慰安婦問題に対する姿勢に対し厳しい意見が多かったように記憶しています。

ナヌムの家から帰ってからあったこと

実はこの時のナヌムの家訪問には、日本から筑波大学の学生も参加していました。というより筑波大学から高麗大学にナヌムの家訪問の要請があり企画された訪問だったという方が事実でしょう。

ナヌムの家から帰って、私達高麗大学の学生は小グループに分かれ、慰安婦問題について討論会が行われました。そこで今でも忘れられないのは、ある高麗大女子大生が言った言葉です。彼女は言いました、「慰安婦問題は昔の人がやったこと、今の我々はお互い仲良くやればいいのよ」と、私は返す言葉もなく、ただただ感心するばかりでした。

また、ナヌムの家から帰ってから筑波大学の教授による講演会が行われ、日韓交流を兼ねて、慰安婦問題についての理解を深めることが出来ました。

その夜は私、高麗大学、日本から来た筑波大学の学生を交えて、サムギョプサル、チゲ鍋を囲んで食事会が開かれました。韓国人学生に出身地のことを聞いたり、好きな日本人タレントの名前を聞いたり、楽しいひと時でした。費用は誰が出したんでしょう?私は出した記憶がありません。

畑で野菜を育てるハルモニ達

ナヌムの家のハルモ二達は、今は畑で野菜を育てる幸せな毎日だと言ってました。本当に窓からは畑仕事をしているハルモ二が見えました。今になって思うと原作『商道』の最後にサンオクのために「商業之道」を描いた金正喜(号は秋史、阮堂。)が、晩年のサンオクを「野菜を育てる老人」と称したことと、野菜を育てるハルモ二の姿がダブって見えます。

片や200年前に、生涯富を集め、朝鮮八道一の巨商になったサンオクと、片や100年前に日本帝国主義に人生を奪われるしかなかったハルモ二達が最後は同じ「野菜を育てる老人」になっている。
感傷的かも知れないが私はそう感じた。

『商道』の作者は最後に語っています。「秋史が林尚沃のために書いたあの最後の名文は、今日を生きる私達に投げ掛けられた獅子吼である。しかし、果たして何人の人が分かるだろうか。商業とは”利を遂うに非ずして、義を求むるなり„という孔子の言葉を借りて、叫びかける秋史の金言を、胸中に刻むことのできる人がどれくらいいるだろうか。」

私がナヌムの家を訪れた時、10人位居たハルモ二達も、今では、2人位になったらしい、間もなく一人もいなくなるのもそう遠くない。私は還暦を過ぎて韓国留学して、歴的的なナヌムの家を訪れてハルモ二達に会えて話が出来て本当に良かったと思っている。また、韓国女子大生の「今の我々は、お互い仲良くやればいいのよ」という言葉を今後も決して忘れることはありません。

韓国時代劇を通じて隣国の歴史を学ぶことと、ナヌムの家で感じたことは、私の中で今も一つにつながっています。

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