あなたは韓国の寺に泊まったことがありますか?石崇和尚はドラマ・原作両方でサンオクの精神的支柱として重要な役割を果たしています。韓国仏教はまさに韓国ドラマサンドの面白さとサンオクの生き方を決めた重要な要素なのです。
私は2010年に全羅南道求礼(クレ)郡の智異山(チリサン)にある華厳寺(ファオムサ)に2泊3日のテンプルステイをしたことがあります。また、韓国留学時(2012~2013)には日曜日に韓国人の友人と何度も道峯山(ドボンサン)に登り、その中腹にある天竺寺(チョンチュクサ)で無料のビビンバを頂いたという韓国の寺の経験があります。
この記事ではサンオクにおける韓国仏教の役割と、私の韓国の寺での体験を紹介しています。サンオクの商人としての大成功と韓国仏教との深い関係を知って頂き、韓国の寺の理解を深めて頂ければ幸いです。
イム・サンオクにおける韓国仏教とは
私が訪れた韓国の華厳寺も天竺寺も奥深い山の中にあります。まず、そこが人の住まいの近くにある日本の寺と違うところです。それは歴史的な背景として、朝鮮王朝時代(1392~1910)に行われた「崇儒廃仏」(儒教を尊び仏教をを抑圧・弾圧する政策や思想)の影響が残っているからです。
そのため、韓国のお寺は、ことごとく人のいない山奥に追いやられましたは。その寺が今でもそのまま残っているのです。それは詳しく言うと、朝鮮初代王・李成桂が建国当初から前王朝である高麗の腐敗した仏教勢力を排除し、中央集権的な官僚国家体制を確立するため行ったことなのです。
また、そのような事情から、韓国の仏教徒は男性より女性の方が多いという傾向があります。李氏朝鮮になり公的な儀礼はすべて儒教が独占し男性中心のものになり、女性たちは家族の健康や子孫繁栄などを個人的に祈る場として、密かに仏教を信仰し続けました。その名残は今でもあります。子女の大学修学能力試験(スヌン)の時には、お寺が志望校合格祈願の母親たちであふれるのは、いい例です。
イム・サンオクにおける石崇和尚の存在
サンオクにおける石崇和尚は人生の決定的な局面で現れ、彼を正しい道へと導く「絶対的な精神的支柱・予言者(導き手)」としての存在です。
物語の最大のハイライトの一つが石崇和尚がサンオクに授けた「死、鼎(かなえ。3本足の器)、戒盈杯(けいえいはい、韓国語でケヨンぺ)」という謎めいた3つの言葉(またはアイテム)です。それでは、それぞれ具体的な働きを見てみましょう。
・「死」の文字
サンオクは中国での朝鮮人参貿易の際、中国貿易商人の人参不買同盟に逢い、「死」という言葉は商品の人参を燃やすという、命をかけた大勝負をかける胆力を与えました。
・「鼎」の文字
洪景来(ホン・ギョンネ)の乱に巻き込まれそうになった際、「3つの足(国家、反乱軍、商人)」の1つを折って洪景来に示し、反乱には加わらない意思を表明し、サンオクが大逆罪人になるのを回避させました。
・戒盈杯
7割以上注ぐと中身が全て流れ出てしまう不思議な杯。サンオクは、和尚から贈られたこの杯の謎を解くことで「物を満たしすぎてはならない」という人生の真理を悟ります。
当時の朝鮮社会では僧侶は社会の最底辺(賤民階級)に居ながら、石崇和尚は世俗の富や権力から最も遠い場所にいるからこそ「真の価値とは何か」を誰よりも見抜いている人物として描かれています。和尚はサンオクをただの「金持ちの成功者」で終わらせず、歴史に名を残す「巨商・義人」へと昇華させる役割を果たしているのです。
イム・サンオクにおける3人の女性
サンオクと3人の女性(タニョン、ミグム、チェヨン)との恋愛には仏教の根本思想である「因縁」と「執着からの解放(諦念)」が深く関わっています。石崇和尚の教えはサンオクが彼女たちへの愛や未練をどのように乗り越え、商人として、そして一人の人間として成長したかを示す重要な精神的指針となっています。
タニョン:愛の執着と「四苦八苦」
ライバルである松商の娘、タニョンとの恋愛は、まさに仏教でいう「愛別離苦」そのものです。サンオクはタニョンを無理に我が物にしようとせず、彼女の幸せを願い、それぞれの宿命を受け入れることで、この苦しみから逃れています。
ミグム:世俗の「因縁」と正妻としての器
最終的にサンオクの妻となり生涯に渡って彼を支え続けた女性。それは仏教における「因縁」の結末です。激しい情熱的な愛(執着)ではなく、現実の中で互いを支え合うという「日常的で普遍的な愛」を現しています。
チェヨン:サンオクが最も苦境に立たされた時、精神的な支えとなった女性
彼女との関係は「縁」と「慈悲」を現しています。互いに思いやりながらも、サンオクをタニョンに譲るという道を選び、サンオクの人生を静かに見守ります。
3人の女性を通して、サンオクは愛する者を「所有・支配」するのではなく、自らの煩悩(恋愛感情)をコントロールし、より大きな人々への愛や「義」の実践へと昇華させていきました。
私の華厳寺テンプルステイの体験
私が求礼の華厳寺を訪れたのは特に韓国仏教に関心があったからではありません。慶州、釜山、光州と気ままな一人旅の宿泊費を節約するためには、2泊3日、朝晩の食事付で当時7万ウォンというテンプルステイの料金が安かったからです。
日本のお寺に泊まったこともないのに、韓国仏教を比較観察するなどという気もありませんでした。しかし結果的に華厳寺でのテンプルステイは私の忘れられない思い出になりました。
初日、寺に着くと若いボランティアの韓国人女性が迎えてくれました。彼女にはそれから3日間付き添ってもらい食事を共にし、色んな話をすることができました。
寺の一日のスケジュールはおおまかな記憶では、夜中の午前3時に起床礼拝、6時朝食、確かその後もう1回礼拝があって、夕方6時夕食、9時就寝という規則正しいものでした。食事はもちろん肉、魚のない精進料理でしたが、私には珍しいおいしい料理ばかりで、おかずの数も多かったように記憶してます。
華厳寺は大規模な寺で建物の数も多いものでした。一日だけ智異山に向かって寺のボランティアの女性と一緒に半登山を楽しみました。一緒にテンプルステイした日本人はいなく、他は全て韓国人女性でした。別れの日、寺のボランティアの女性は下りの山門まで送ってくれて、寺の決まりなのかもしれませんが、私が見えなくなるまで見送ってくれたのが印象的でした。
若い坊さんとも、とりとめのない話をしましたが、日本人の私に気を使ってるのが分かりました。韓国仏教について大げさなことは何もいえませんが、ただ韓国の寺に居るだけで韓国仏教の雰囲気は味わえました。それはありきたりの韓国観光より、はるかに濃い韓国体験だったと思います、何より、韓国人と寝食を共にし、色んな話ができたことは私にとって喜ばしいことでした。
私の天竺寺と道峯山での記憶
それから2年後私は韓国に留学し、ソウル近郊の道峯山登山で韓国人の同世代の男性と友達になり、何度も一緒に道峯山に登って中腹にある天竺寺に立ち寄ることになったのです。
天竺寺で驚いたことはビビンバが無料で振舞われいることでした。でも、よく見ると縦長の小さな賽銭箱みたいなものがあり、心ある人はお金を入れられるようになっていました。彼岸などの特別な日には餅や果物も出ました。皆、食後には食器を自分で洗っていました。ここでは、いわゆる商いをして儲けるという精神は全くなく、あるのは「奉仕」する人と「感謝」する人の精神だけでした。
寺に寄るのは、ほとんどが道峯山の登山者で、地下鉄の「道峯山駅」があるのでアクセスの便利な所でした。日曜日にはたくさんの登山者であふれ、山頂で見知らぬ韓国人から梨で作った自家製の酒を頂いたこともあります。
私の韓国人の友人は寺の坊さんとも友達らしく、私も坊さんの居る部屋に入って坊さんと話をしたことがあります、韓国では、登山者にとって寺とは日常的に在るもので、坊さんと普通に世間話が出来る存在であることを知りました。
イム・サンオクが歩いた商業の道=仏道
結局、石崇和尚を通じてサンオクに流れた仏教精神は、人間はどう生きるべきなのかということだと思います。それを紹介してベストセラーとなったのが原作『商道』であり、ドラマ化したのが韓国ドラマサンドなのだと思います。
私はふだん、あまり仏教と縁のない生活をしていますが、原作『商道』を読み、韓国ドラマサンドを観て、サンオクの生き方を通して仏教の大切さを理解しました。
そして新たな韓国旅行の希望も出て来ました。それはサンオクが暮らした義州に行き鴨緑江を眺め、故金起燮(キム・ギソブ)会長の「如水記念館」へ行き、サンオクの人生を決めた戒盈杯と、サンオクの晩年が描かれている「商業之道」を見る旅です。

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