韓国ドラマ好きの皆さんはチャングムの流刑地で、ロケ地でもある済州島へ行ったことがある、あるいは、行ってみたいと思ってる人も多いと思います。この記事は私が2年前に済州島を訪れた時のものです。
帰りの飛行機に乗り遅れる、済州島名物の風で出発が遅れるというハプニングのある珍道中でしたが、済州島の自然と人情を十分に味わった思い出の旅です。これから、済州島に行かれる人の参考になれば幸いです。
私にとって済州島とは
私が済州島に関心を持っようになったのは、一時、在日朝鮮人の研究をしていた頃、日本に居る百万人と言われる朝鮮にルーツに持つ人々に済州島出身者が多いことを知った頃です。そしてその時、韓国で一番高い山が済州島にある漢拏山(ハルラサン)であることも知りました。
私の知っている済州島がルーツの人を挙げてみると、作家の金石範(キム・ソッポン)、歴史家の姜在彦(カン・ジェオン)、芸能界では和田アキ子がいますが、皆、大阪出身です。これは、戦前に済州島と大阪を結ぶ定期船があったことが関係しています。
それと1948年に「4・3済州島事件」が起こり、多くの済州島民が日本に避難してきたことも関係しています。金石範はこの事件を扱った『火山島』で大佛次郎賞、毎日芸術賞を受賞しており、韓国の初代「済州4・3平和賞」も受賞しています。
私は韓国旅行や韓国留学を通じ韓国各地を訪れたことがあるのに、済州島は飛行機の直行便が少ないせいか、一度も訪れたことがありませんでした。そんなことから、2024年の久々の韓国旅行の際、済州島を選んだのでした。そして、この時も一人旅でした。
城山日出峰・海水浴場・東門市場
済州島空港に着いた時はもう夕方で、案内所でバス乗り場はすぐ分かりましたが、問題は降りる時です。バスのアナウンスが韓国語なので注意して聞いていましたが、そのうち分からなくなって、近くの婦人に尋ねたところ、「もう、通り過ぎました」と言われ、あわてて降りて戻りました。
ホテルの地階が食堂になっていて、そこで朝食を食べられました。韓国料理のバイキングスタイルでカレーやパンもありました。済州島観光は島内をバスが縦横無尽に走っているのでバスが一番便利です。私は観光地へは毎回、ホテルから空港に戻って空港から出発するようにしていました。
最初に行ったのは城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)です。城山日出峰は海底噴火で海から飛び出した海抜180メートルの巨大な火口です。当日はあいにく曇りで麓から眺めただけで、頂上に行って火口を見ることはしませんでした。漢拏山も見えませんでした。
翌日は西部にある挟才海水浴場( ヒョプチェ ヘスヨッチャン)へ行きました。ここが済州島で見た景色で一番美しかったところでした。コバルトブルーの海と白い砂と対岸に浮かぶ緑の飛揚島のコントラストが素晴らしかった。
次の日は東門市場(トンムンシジャン)へ行きました。済州島で一番大きな何でもある伝統市場です。私はここの魚市場でお土産を買いました。日本の三陸で食べられる松藻(まつも)ようなものと中型の魚の干物です。私は市場が大好き人間ですから、旅行に行けば必ず市場に行きます。
街の食堂のおばさん
観光地からホテルに帰った、昼や夕にはホテル近くの食堂で食べていました。いっぱい店がある中でどこにしようか迷った末、店の大きさが中くらいのところにしました。そこは中年の夫婦がやっている店でした。
料理を作るのは奥さんの方で、ご主人はいつも店で座ってニコニコしてるだけでした。客は私だけで、奥さんとは色んな話をしているうち、すっかり仲良しになりました。帰りには、いつも冷蔵庫を開け、あられのような米菓子を一袋出してくれるのでした。
奥さんと話をしている時、日本で働いていたことがあると言い出し、「テバン、テバン」としきりに言うので、はてどこかなと一瞬思ったんですが、すぐ大阪だと分かりました。「大阪」という漢字はハングルで発音すると「テバン」なのです。
私はその時、済州島と大阪の深い繋がりを感じました。奥さんが日本語がダメで、おそらく大阪の同族企業みたいなところで働いていたのでしょう。けがをして済州島へ戻ってきたのだそうです。知識として済州島と大阪の繋がりは知っていた私は、街の食堂でそのことを経験したのでした。
飛行機に乗り遅れて領事館のお世話に
済州島からの帰りの飛行機に私は乗り遅れてしまいました。今となってはその原因がはっきり思い出せませんが、とにかく、あわてて搭乗口に着いたら、搭乗が締め切られた直後でした。こんな事は初めてで、対応を調べた末に、済州島領事館を見つけ、連絡しタクシーで駆け付けました。
領事館はビルの上階の一室にありました。若い男性職員が出てきて、私のスマホを使い、翌日の飛行機、今日のホテルを手配してくれました。私のスマホがハングル入力できるので少し驚いていました。ともかく、予定外の費用はかさむが、無事、帰国出来る手配が整って安心しました。
ものは考えよう、帰りの飛行機に乗り遅れたお陰で、もう一日よけいに済州島を楽しむことができたのです。泊まったホテルの朝食もバイキングでしたが、韓国人の団体客と一緒になり、その立ち居振る舞いを見、ホテルの食事・サービスの内容も比較することが出来ました。
時間もたっぷりあったので、街に出て食事をし、観光地でない済州島の生活振りを見ることが出来たのです。あらためて感じたのは、済州島の人々も、自分の住んでいるところで、精一杯仕事をし、収入を得て、目標を持って暮らしているということでした。
風で帰りの飛行機も遅れる
済州島は別名三多島とも言います。風、石、女の三つが多い島という意味です。私は翌日の飛行機で帰る際、この三多島の風の洗礼を受けました。つまり、ソウル行きの飛行機が風で出発が遅れたのです。幸いソウル発の飛行機には間に合いましたが、冷や冷やさせられました。
私は済州島に行き、旅の本当の楽しみを味わったと思います。美しい海岸、生活力を感じさせる東門市場、済州島と大阪の繋がりを実感する出会い、飛行機に乗り遅れた体験、親身に面倒みてくれた領事館職員、済州島で私が経験したことが、今懐かしく思い出されるのです。
そして、済州島には観光だけでは語れない歴史があるとも思っています。済州島から大阪に定期船で来た人々、済州島から日本に渡った海女達、4・3済州島事件で日本に逃れた人々、済州島は何と日本と関係の深い島なんでしょう。

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