韓国好きの皆さんは、昔のわら葺のソウルの街を想像したことがありますか?この記事は私が韓国留学中偶然見つけた、朝鮮の日本統治時代に撮られた写真についてまとめたものです。
新しい写真には路面電車が映っており、現在の地下鉄の駅名の一つ一つ、清凉里や東大門といった地名が100年以上前の写真の中に、まったく同じ名前で登場するというのです。
留学中、パソコンで出会った2枚の古写真
シニアになってソウルに留学していた頃、私にはちょっとした習慣がありました。夜、下宿で何をするでもなく、パソコンの前でソウルの古い写真を眺めることです。
きっかけは覚えていません。何かの拍子に検索して出てきた画像に、思わず見入ってしまったのが始まりだったと思います。目の前には、見慣れたソウルの姿とはまったく違う光景が広がっていました。
一枚は、地平線まで続くかと思うほど、わら葺き屋根がびっしりと立ち並ぶ集落。もう一枚は、同じ場所を同じ方向から捉えたと思われる写真で、そこには瓦屋根の家々の間を、路面電車が走り抜けていました。
この2枚の写真が、いったいいつ、どこで撮られたものなのか。正確なことはわかりません。それでも、私はこの2枚の対比に、強く心を惹かれたのです。
同じ場所、違う時代
改めて2枚を見比べると、その変化の激しさに驚かされます
1枚目の写真には、見渡す限り、わら葺き屋根の家々がすき間なく並んでいます。道には人々や荷を運ぶ牛馬の姿があり、電柱や近代的な建物は一切見当たりません。おそらく、朝鮮王朝末期の、ごく普通の庶民の暮らしぶりがそのまま写し取られた一枚なのでしょう
2枚目の写真は、その同じ通りを写したと思われる一枚です。わら葺き屋根の多くは瓦屋根に置き換わり、道の中央には線路が敷かれ、路面電車が走っています。電柱も立ち並び、街全体の空気が、明らかに「近代」へと変わっているのがわかります。
同じ場所、同じ方向から撮られたはずなのに、そこに写る景色はまるで別世界のようでした。この短期間で、いったい何が起きたのか。写真を見つめながら、私はその変化の背景を知りたくなったのです。
この写真は何だったのか
気になって調べてみると、この種の古写真は、決して珍しいものではないとわかりました。
朝鮮末期から日本統治時代にかけてのソウルの姿は、当時ソウルを訪れた外国人外交官や旅行者、あるいは統治側の記録として、数多くの写真に残されています。近年では、アメリカ議会図書館やソウル歴史博物館といった機関が、こうした古写真のアーカイブ調査を進めており、1880年代から80年あまりにわたるソウルの変遷を捉えた写真が、次々と発掘・公開されているのだそうです。
中には、統治機構の記録資料として撮影されたもの、外国人旅行者が旅の記念に撮影したもの、当時の生活状態を調査する目的で撮影されたものなど、その出自はさまざまだといいます。いずれにせよ、100年以上前のソウルの日常が、これほど鮮明な形で今に伝わっていること自体、驚くべきことです。
私が留学中に見つけたあの2枚も、おそらくは、そうした膨大なアーカイブのどこかから、巡り巡ってネット上に流れ着いたものなのでしょう。撮影者も、正確な撮影年も、今となってはわかりません。それでも、その写真が写し取った「変化の証拠」としての価値は、少しも損なわれていないように思います。
路面電車が変えた街
写真に写っていたあの路面電車は、1899年5月17日、西大門から鍾路、東大門を経て清凉里に至る、約8kmの区間で開通しました。日本に次いで、アジアで二番目の路面電車だったといいます。
面白いのは、その開通のきっかけです。皇帝・高宗が、明成皇后(閔妃)の墓、洪陵への参拝のたびに多くの臣下を伴う必要があり、その出費と煩わしさを解消するために、電車の導入を強く望んだのだと伝えられています。愛する妃の墓へ、もっと身軽に通いたい――そんな皇帝の個人的な願いが、結果として都市全体を変える近代化の一歩になったというのは、なんとも人間味のある話です。
開通式の日、ソウルの人々は「鉄の驢馬(ロバ)」と呼ばれたこの乗り物に熱狂したといいます。ロシアや日本のような外国から来た乗り物ではなく、自国の皇帝の意志で導入された新しい文明の象徴として、多くの市民が地方からもわざわざ見物に訪れたそうです。
わずか数年のうちに、あのわら葺きの家並みの間を、電車が走り抜けるようになった。写真の中の風景は、決して緩やかな変化ではなく、皇帝の意志と、外国資本と技術が絡み合って一気に押し寄せた、急激な近代化の断面だったのです。
今のソウルと重ねて
今、ソウルの街を歩けば、高層ビルが立ち並び、地下鉄が縦横に走り、あの頃の面影はどこにも見当たりません。私自身、留学中は自転車で市内を走り回りましたが、わら葺き屋根はおろか、路面電車の痕跡さえ、意識して探さなければ気づかないほどでした。
それでも、あの2枚の写真を見返すと、今のソウルの下に、確かにあのわら葺きの村や、開通したばかりの電車が走っていた時代が横たわっているのだと実感します。地下鉄の駅名の一つ一つ、清凉里や東大門といった、私自身も自転車で通った地名が、100年以上前の写真の中に、まったく同じ名前で登場するという。その事実だけで、不思議な感慨がこみ上げてきます。
まとめ
パソコンの画面越しに偶然出会った2枚の古写真。そこに写っていたのは、わら葺きの家並みと、皇帝の想いから生まれた一台の電車でした。
たった一枚の写真が、その土地に積み重なった時間の厚みを教えてくれる。留学中、自転車で走り回っていたあの街の下に、こんなにも劇的な変化の歴史が眠っていたのだと思うと、今さらながら胸が熱くなります。
次にソウルを訪れる機会があれば、今度は高層ビルの合間に、かつてのわら葺き屋根や電車の面影を探しながら歩いてみたいと思います。

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