韓国好きの皆さんは日本の在日、中国の延辺朝鮮自治州を始め、朝鮮民族が世界各地に住んでいることを、うすうす感じていることと思います。この記事は韓国留学中、韓国に来た世界の留学生のお祭りに参加して、それに気付いたことをまとめたものです。
その背景には平坦ではない歴史があります。例えば、中央アジアにどうして朝鮮人が住むようになったのか、この記事でそれがわかるようになります。
International Student Festivalの賑わい
高麗大学のキャンパスに、たくさんのテントが並ぶ日がありました。「International Student Festival」、留学生たちが自国の文化を紹介し合い、自国の料理を振る舞う秋の恒例行事です。
紅葉に彩られたキャンパスの広場は、いつもとはまるで違う表情を見せていました。テントごとに国旗がはためき、民族衣装をまとった学生たちが行き交う、異国の香辛料の匂い。
しかしどこの国のテントからも、なぜか韓国語の呼び込みの声が聞こえてきます。あちこちから聞こえる音楽と合わさって、まるで世界中を一日で旅しているような感覚でした。
シニアである留学生の私も、この賑わいに誘われるように、テントからテントへと足を運んでいきました。
お祭りの様子
会場を歩いていると、次から次へと目を引く光景に出会いました。メキシコのテントでは、伝統衣装に身を包んだ学生たちが軽やかにダンスを披露し、周りの人々が足を止めて見入っていました。色鮮やかなスカートがふわりと広がるたび、歓声が上がります。
世話役の韓国の男子学生は、伝統衣装ハンボク(韓服)のパジチョゴリを着たり、顔にペイントを塗ったりして、お祭り気分を盛り上げていました。ある女子学生は韓国の伝統衣装チマチョゴリを着て、頭に大きな伝統的な髪飾りをつけたその姿は、まるで時代劇から抜け出してきたかのようでした。
私は授業で同じクラスの留学生を見つけては一緒に写真に写ってほしいと頼み、気づけば、あちこちの国の留学生たちと肩を組んで記念写真を撮っていました。
テントからは、それぞれのお国自慢の料理の香りが漂ってきます。目で見て、耳で聞いて、匂いを嗅いで、味わって、五感すべてで世界を旅するような、そんな一日でした。
意外な発見 — 「あの国のテントにも」
会場を巡っているうち、私はふと、あることに気づき始めました。
フランスのテントに立つ留学生、カザフスタンのテントで民族衣装を身にまとった女性、ブルネイやペルーのブースにいた留学生たち。それぞれ、その国の代表として誇らしげに立っているのですが、ふと顔立ちを見ると、「あれ、これはもしかして」と思わず二度見してしまう瞬間が何度もありました。
もちろん、真偽を確かめたわけではありません。声をかけて出自を尋ねたわけでもなく、あくまで私の目にそう映った、というだけの話です。それでも、フランスやカザフスタン、遠く離れたブルネイやペルーのテントに立つ人々の中に、どこか朝鮮半島の面影を感じさせる顔立ちが交じっている――そのことに、不思議な感慨を覚えずにはいられませんでした。
もしそれが本当に朝鮮民族の血を引く人々だったのだとしたら、彼らはいったいどんな経緯で、その国の代表としてこの場に立っているのだろう。そんな疑問が、ふと頭をよぎったのです。
朝鮮民族は世界175カ国に広がっている
あの日感じた疑問は、後になって調べてみると、決して的外れなものではありませんでした。
実は、朝鮮民族は世界175カ国にその足跡を広げているといわれています。中国系移民が広がる国が130カ国あまり、ユダヤ系移民が100カ国あまりとされることと比べても、朝鮮民族の分布の広さは際立っています。
その背景には、決して平坦ではない歴史があります。中でも印象的なのが、カザフスタンをはじめとする中央アジアへの移住です。1937年、ソ連の指導者スターリンは、日本のスパイになることを恐れ、沿海州(ロシア極東)に住んでいた朝鮮系住民、約17万人を中央アジアへと強制移住させました。貨物列車に詰め込まれての移動は過酷を極め、多くの犠牲者も出たと伝えられています。
この時移り住んだ人々の子孫は、今も「高麗人(コリョサラム)」として、カザフスタンやウズベキスタンで暮らしています。あの日、カザフスタンのテントで見かけた民族衣装の女性も、もしかしたら、そうした歴史を背負う一人だったのかもしれません。
まとめ
一つの大学祭から始まった小さな気づきが、思いがけず、朝鮮民族が歩んできた壮大な歴史へと繋がっていきました。フランスにも、カザフスタンにも、ブルネイにも、ペルーにも――世界のあちこちに、朝鮮半島にルーツを持つ人々が、それぞれの生活を築いている。
International Student Festivalの華やかな一日は、私に、賑わいの裏にある「移動する民族」としての朝鮮民族の姿を、垣間見せてくれました。テントからテントへと巡り歩いたあの秋の日は、世界地図を一日で旅したような、忘れがたい思い出になりました。

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