韓国好きの皆さんは、ソウルの新村は延世大、梨花女子大、西江大など、周辺に大学が多く若者の街といった感じの街で、ちょっち渋谷に似ているのでよく御存知でしょう。その新村からバスで1時間半乗れば、江華島へ行けるのです。
この記事は私が韓国留学でソウルに居た時の、江華島日帰り旅行の思い出です。帰国してドラマ武神を見て、武人の人生に感動しながら、江華島がドラマ武人の重要な舞台であり、私の江華島旅行と重なり、江華島で見た砲台が目に浮かぶのでした。
江華島日帰り旅行
韓国留学(2012~2013)も終わりに近づいたある日曜日、私は江華島への日帰り旅行を思い立ちました。
江華島は日本が1875年に軍艦雲揚(うんよう)号による江華島事件を起こした島です。そして江華島条約により日本は仁川、元山、釜山港を開港させ、朝鮮侵略が始まったという歴史がある島です。
その前に江華島ではフランス軍だけでなくアメリカ軍も撃退した歴史があります。1866年には丙寅洋擾(へいいんようじょう)が起き、ここで朝鮮軍がフランス軍を撃退しました。
1871年には辛未洋擾(しんみようじょう)で、アメリカの艦隊がここで朝鮮軍と激闘を展開し、結局撃退させられたという、欧米の朝鮮侵略があった島です。
地理的には、江華島は仁川国際空港のすぐ北にあり、行政上は仁川広域市に属します。漢江の河口に位置し、古くから朝鮮首都への入り口の島ですが、現在は対岸とは江華大橋と江華草芝大橋によって繋がっていて、島の北側は海を隔てて北朝鮮と向き合っています。朝鮮時代には謀反を起こした王族や官僚たちの流刑地としても活用されていました。
その江華島は、高麗時代の武臣政権を描いたドラマ武神で描かれた通り、高麗が蒙古軍の侵攻から避難するため開京から遷都した場所であり、その後の元の日本侵攻(文永・弘安の役)へと続く歴史ある島です。このような日本とも関係深い江華島を、せっかく近くのソウルにいるのだから、一度この目で見ておきたいと思ったのでした。
江華島から席毛島へ
下宿を出て、地下鉄安岩(アナン)駅より新村(シンチョン)駅に向かいました。新村は江華市外バスの出発点です。3000番バスに乗り込み、料金は当時で2000ウォンと安いものでした。1時間半位で江華ターミナルに着きました。
江華ターミナルには日本人向けの案内所がありました。私と同年代らしい、おじさんにいろいろ聞いて、時間は十分あると思いました。そこでまず先に、島の反対側の外浦里(ウェポリ 외포리)へバスで行き、対岸にある席毛島(ソンモド 석모도)へ船で渡ることにしました。
この小さい島に行きたいと思ったのは、海岸線が美しい、海水浴場、海を眺めながら入れる温泉があると聞いたからです。そこには船で行きましたが、現在は橋で江華島と繋がってるらしいです。
でも当時は船しかなく、着いて島に渡る時が大変、船と島の間に鉄板を渡し、恐る恐る鉄板の上を降りるという原始的な方法で降りました。
席毛島でまたバスに乗り島の反対側にある、韓国三大観音聖地の一つである普門寺(プムンサ 부문사))へ向かいました。普門寺前のバス折り返し地点には売店、食堂がたくさんありました、露天を眺めていたら、おばさんが皮付きピーナッツを私の片手に一杯くれました、よほど買ってほしかったのでしょう、ビールのつまみに買ってやればよかったと後で思いました。
そこから、急な坂と階段を登って頂上の巨大な岩に刻まれた仏様までたどり着いた後、そこを降りて食堂に入り、ビールとカムジャジョン(감자전 じゃがいもの入ったチヂミ)で一息入れました。海岸に行くは足がなく、結局行けませんでした。
席毛島から江華島へ
席毛島から江華島の外浦里へ戻り魚市場見学しましたが、どれも新鮮でおいしそうでした。それから、江華ターミナルまで戻り、そこから江華島を南に下ることにし、広城堡(クァンソンボ 광성보)へバスで向かいました、これは案内所でおじさんに詳しく教えてもらったのでスムーズに行けました。
広城堡は辛未洋騒の激戦地です、1871年アメリカの艦隊が草芝鎮(チョジジン 초지진)、徳津鎮(トクジンジン 덕진진)を占領した後、ここに上陸し朝鮮軍と激闘を展開し、結局撃退させられたのです。広城堡の建物は東大門を短くしたようなもので堂々たる城でした。
この路線のバスは1時間に一本しかないので、そこから南へ30分歩いて徳津鎮へ着きました。途中、唐辛子畑がたくさんあり、日本の田舎の風景と一緒でした。鰻(チャゴ 장어)と書いてある食堂の3階から女性達が歌うノ・サヨン(노사연)の出会い(マンナム 만남))を歌う声が聞こえ、私の旅に一息入れてくれました。
徳津鎮は江華島12鎮堡の一つであり、朝鮮時代には江華海峡を守った要衝地です。1866年の丙寅洋騒の際にここでフランス軍を撃退しました。広城堡同様立派な城で、10数本の砲門が復元され、フランス軍との激闘の写真もありました。
そこを出てさらに南へまた30分程歩いて草芝鎮へ着きました。草芝鎮は江華島の南端にあり、海上から侵入する外敵をさえぎるため、朝鮮孝宗が1656年に構築し、200年後、フランス、アメリカの艦隊と熾烈な戦いを繰り広げた所です。城ではなく、頑丈は低い壁で守られていました。
日本が黒船到来(1853年)により開国した後も、朝鮮が粘り強く鎖国を続けた歴史が、ここ江華島にありました。私以外訪れる日本人も無く、地元の韓国人さえ見えなかった旅ですが、私の見た遺跡は今でも朝鮮(韓国)人の土性骨を伝えています。
江華島とドラマ武神の絡み
ドラマ武神は13世紀の高麗時代、奴婢から武人として頭角を現し、権力を握った金俊(キム・ジュン)の物語です。キム・ジュヒョクが「ホジュン~伝説の心医」の前に初めて時代劇出演を果たした作品でした。金俊は実在の人物で。江華島遷都もまた実話です。
金俊たちの武人として国(高麗)に対する忠誠は、江華島で見た、広城堡、徳津鎮、草芝鎮で活躍した軍人たちの心と変わりありません。武神で描かれた江華島遷都のシーンを見た時、私はあの砲台の前に立った日のことを思い出しました。ドラマの中の江華島と、実際に歩いた江華島が重なる瞬間でした。
鎖国を続けた為に、確かに朝鮮の開国は遅れ、現在、民族が南北に分断してる状態ですが、金俊たち、江華島の軍人たちの心は引き継がれています。そうでなければ、現在、南だけ見てもOECD加盟国になり、造船業、IT産業、韓国ドラマなど文化産業輸出などの隆盛を、どうして、成し遂げることが出来たでしょうか?

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