韓国留学中、韓国語で挑んだ専門科目と、李君との出会い

韓国好きの皆さんは、シニアの私が韓国留学で韓国語以外に何を学んだか興味があるでしょう。この記事は留学後半のSpring semester(春学期)で学んだ、初めて韓国語で受けた二つの専門科目と、その挑戦の中で出会った友人について紹介しています。

同じ日本の歴史を観るにも異なる視点があることを知り、韓国で60年の持つ意義が重要で、様々な分野で盛大に祝う伝統があることも知りました。韓国語で授業を聞き、専門的な韓国語の試験に韓国語で答えるということは苦しかった半面、さまざまな知的経験が出来た喜びでもありました。

韓国留学中、挑戦のSpring semester

Fall semester(秋学期)は、韓国語の授業を除けば、すべて日本語で行われる授業ばかりを選んでいました。まだ韓国語に十分慣れていなかったこともあり、無理をしなかったのです。

ところが続くSpring semesterでは、思い切って韓国語で行われる専門科目を受けることにしました。選んだのは「東アジアの中の韓国と日本」と「韓国伝統文化の理解」の2科目です。今、思い返すと、なかなかの挑戦でしたが、同時に素晴らしい経験になりました。

李君との出会いと、紫のキンパ

「東アジアの中の韓国と日本」の最初の授業で、後ろの席にいた李君が、日本人の私に気づいて声をかけてきました。それがきっかけで仲良くなり、それ以来、毎回二人で教室近くの場所に行って予習・復習をする仲になりました。

彼は違うキャンパスにある、医学部のレントゲン科の学生だと言っていましたが、年齢も専攻も違うのに、不思議と気が合いました。

彼がよく昼に食べさせてくれた、お母さん手作りのキンパも忘れられません。普通の白いご飯のキンパではなく、紫色をしていたので、恐らく小豆が入っていたのでしょう。具には牛肉や野菜がたっぷり入っていて、それまで食べたキンパの中で一番おいしいものでした。

信長・秀吉・家康、そして加藤清正の驚き

「東アジアの中の韓国と日本」の授業では、李舜臣の閑山島海戦が世界四大海戦の一つに数えられている、という話が出てきました。日本人の私にはあまりピンとこず、正直なところ、それなら、日露戦争の日本海海戦も入れるべきではないかとも思いましたが、それよりも面白かったのは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、三者の性格の違いについての話でした。

先生いわく、信長は新しい物好きで、長篠の戦いのような鉄砲を使った野戦を得意とした人。秀吉は川をせき止めたり、食糧ルートを断ったりする、城攻めを得意とした人。そして家康は、外交を得意とし、最終的に天下を得た人、とのことでした。

朝鮮に出兵した大名たちの性格の違いも興味深いものでした。秀吉から最も信頼されていた小西行長は、クリスチャンで、最後まで外交による解決を模索していた人物。一方の加藤清正は、戦うことを得意とした人物で、この二人の間がぎくしゃくしていたことが、結果的に朝鮮を助けることになった、と先生は話していました。

特に印象に残ったのは、加藤清正が驚いたという逸話です。日本国内の戦であれば、城を落とせば、そこで勝敗は決まります。逃げる場所がないからです。しかし朝鮮では、そうではありませんでした。国王はあっさりと城を捨て、生き延びる道を選びます。清正がソウル(当時の漢陽)の城を落としても、朝鮮の王はすでに義州まで逃げて健在でした。清正は「どこまで追いかければいいのだ」と、あきれたと伝えられているそうです。

ちなみにこの間、徳川家康は一兵も出さず、朝鮮出兵が始まる1592年頃から、着々と江戸城の建築を進めていたということでした。先生は最後に、「歴史を知るには、その時代を扱った小説や映画を見るのが一番だ」と話していました。今頃になって、という気もしましたが、本当にその通りだと思いました。

歴史の見方の違い

同じ授業の終盤では、中世の日本における朝鮮観についても触れられました。先生の話では、日本書紀に記された神功天皇の三韓征伐の記述から、朝鮮に対する見方が形作られ始め、その後、鎖国の時代に入ると、海外への無知と恐怖感が広まっていった、とのことでした。

一方で、日本という国は島国であったため、外敵に完全に支配されることはありませんでしたが、朝鮮は常に外敵の脅威にさらされ、実際に支配された経験も何度かあった、しかし他国を侵略したことはない、と先生は話していました。

聞いていて、なるほどと思う部分もありましたが、同時に、日本で学んだ日本史の視点とは、かなり異なる見方だとも感じました。どちらが正しい、ということではなく、同じ歴史的な出来事でも、教わる国によって、これほど見方が違うものかと、率直に驚かされました。

韓国語での試験

「東アジアの中の韓国と日本」の期末試験では、記述式の問題が5問出ました。中には、何かの事件を問う問題で、正確には分からないものもありましたが、言葉から意味を推測して、何とか答えを書きました。

試験開始から10分も経たないうちに、2、3人が教室から出ていきました。本当に全部書き終えたのだろうかと思いましたが、他人のことを気にしても仕方ありません。私は何とか時間内に最後まで書き上げ、隣でまだ書き続けている李君を置いて、先に教室を出ました。何よりも、試験の答えを、韓国語で書き上げられたことに、満足感がありました。

両班の一生と、60年ごとの祝い事

もう一つの科目、「韓国伝統文化の理解」では、両班の一生について学んだ内容が特に印象に残っています。60年という数字が、いくつかの祭礼の節目になっていたのです。

日本の還暦にあたる회갑(回甲)は、満60歳を祝う祭事です。平均寿命が短かった昔は、さぞ、めでたいことだったでしょう。それから、結婚60周年を祝う회혼(回婚)。この時、老夫婦は新婚の時と同じ衣装をまとい、同じ儀式を執り行うのだそうです。

さらに、科挙合格60周年を祝う회방(回榜)というものもあります。科挙合格の平均年齢は37歳だったそうですから、20代で合格していたとしても、この節目を迎えられる人はごくわずかだったことになります。

これも、合格した当時と同じように、盛大な宴会を何度も催すもので、その費用のために借金までする人もいたそうです。これらの様子は、すべて風俗画として残されており、今でもその様子を見ることができるそうです。

この科目も、韓国文化について韓国語で学び、韓国語で答えるという、そもそも土台に無理がある挑戦でした。それでも、知らなかったことをたくさん知ることができ、それだけでもありがたい経験でした。

期末試験と、初めての冷麺

「韓国伝統文化の理解」の期末試験では、記述問題が2題出ました。科挙とハングル創成の意味について、それぞれ論じるという内容です。どちらも、私にとっては比較的取り組みやすい問題でした。

試験を終えて学外に出て、留学中初めて冷麺を食べました。運ばれてきたのは、なぜか鋏付きです。待ちに待って運ばれてきた麺は、いつまで食べても切れる気配がありません。なるほど、鋏はやはり必要だったのです。一口サイズの焼肉が10切れほど添えられ、麺は細麺でした。味の方は、緊張と疲れのせいか、正直あまりよく覚えていません。

こうして、挑戦だったSpring semesterの専門科目は、無事に終わりました。李君との出会いも含め、振り返ってみると、どれも忘れがたい経験です。

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