韓国好きの皆さんは、きっと韓国の歌も好きで、カラオケでも歌うことでしょう。この記事は私が韓国留学中、ソウルの城北区主催のカラオケ教室へ通った体験を綴ったものです。
40人位のおばさん達の中に、男性は先生と私だけでしたが、韓国のおばさん達もカラオケが好きな人が多く、私も歌うことで共感したりした貴重な経験だったと思います。
韓国留学中、初めてのカラオケ
ある日の夕方、Language Exchangeの学生達と待ち合わせをしました。ラーメンを食べてから、かねてから5人で行く約束の、カラオケへ向かいました。私はその時、韓国でカラオケへ行くのは初めてで、どんなものかと興味津々でしたが、入ってみると日本のカラオケと変わりない作りでした。
約3時間ほど、皆で交代しながら歌いました。韓国人学生は日本語が専門なので当然と言えば当然ですが、日本の流行歌をよく知っていて、上手に歌っていました。私はと言えば、カラオケ自体が何年ぶりかで、出ない声で懸命に唸り通しました。それでも10曲くらいは歌ったでしょうか。
韓国語クラスのお別れパーティー
ある朝、オモニに「今日はパーティーがあるので、夕飯は食べませんよ」と伝えると「それじゃ、今日は旨いものを食べよう」と言うので、思わず吹き出してしまいました。「どうぞ、どうぞ」と言って、私は出かけました。
夕方6時から、韓国語初級Ⅱクラスのお別れパーティーで、サムギョプサルを食べた後、皆でカラオケへ行きました。左側にいた女性は、スーパージュニアか何かの曲に合わせて踊っていたので、写真がぶれてしまいました。
私は、イ・ソニの曲を歌おうと探したが見つからず、仕方なく最初にSeeyaの「サランゲインサ(愛の挨拶)」を歌いました、96点。次に、ようやくイ・ソニの歌を見つけて歌ってみたが、83点。続けてチョ・ソンモの「アシナヨ(ご存知ですか)」を歌い、これも86点でした。歌うたびに、キャサリン(オーストラリア人)がやたらと褒めてくれる。もちろん社交辞令でしょう。
今月で留学を終了する3人のうち、一番激しく踊っていた女の子が、私が先に帰る時、エレベーターまで見送りに来て、さよならを言ってくれました。そんなことをするような子には見えなかったので、意外な一面でした。考えてみれば、彼女にとって韓国の最後の夜だったのかも知れません。
翌年、区のカラオケ教室へ
年が明けて、書道教室と同じように、今度は区のカラオケ教室にも通ってみることにしました。午後2時からの教室へ行くと、時間前からすでに、おばさんたちが約40人ほど、カラオケで歌の練習をしていました。男は私一人です。
一人のおばさんから挨拶されました。聞くと、昨日の書道教室で一緒だったという。そのうち、下宿のオモニまでやって来たので、思わず驚いてしまいました。どうやら区役所に私のことを頼みに来たらしいのです。やがて男の先生が現れ、歌詞と楽譜の書かれた紙が配られ、カラオケの画面を見ながら、全員で歌の練習です。この日は3曲を練習しました。どちらかというと、日本の演歌に近い雰囲気の曲でした。
その日習った曲の一つが「청춘(青春)」。「心はいつも青春なのに、時間はなぜこんなに早いのか。人生はなぜこんなに短いのか。泣いたり笑ったり、ぶつかりながら生きてきた人生」―生徒たちの人生に、ぴったりの歌ばかりでした。
教室の終わりに、先生が「今日は新入りが来ています」と私を紹介してくれ、「面白かったですか」と聞かれたので、立ち上がって一言挨拶をしました。
先生の言葉、「人真似でない自分の歌を」
この教室で、何より印象に残っているのは、先生が発声法について語った言葉です。「人間の声は、誰一人として同じ声はない。電話越しに声を聞いただけで、誰だかすぐに分かるでしょう。この、唯一無二の自分の声を磨かなければならない」。分かりやすく、それでいて心に残る教えでした。
私は歌う時、つい歌手の歌い方を真似てしまうことが多い。ある日、松山千春の歌を聴いていて、つくづく「真似はできない、真似をしてはいけない」と思いました。聴いた歌を一度自分の中で壊し、自分の歌として歌わなければならない。人生も同じことだ。人真似ではない、自分自身の人生を生きる。今までの自分がそうだったかと考えると、正直、自信がありませんでした。
カラオケ教室の人間模様
カラオケ教室には、歌以外にも小さな温かさがありました。ある日、隣に座っていたおばさんが、小麦粉を蒸した、隙間のたくさんある食べ物をくれた。日本でいう「がんずき」のようなものです。大粒のあずきが入っていて、薄い緑色をしている。熱々の四角いのを、ありがたく頂きました。
また別の日には、少しおしゃれなおばさんが、コーヒーを淹れて持ってきてくれました。来る前は気が進まなかった日でも、練習が始まって歌ううちに、頭がすっきりしてくる。「やっぱり来て良かった」と思う瞬間でした。良い気分転換になっていたのだと思います。
もちろん、教室が居眠りと無縁だったわけではない。週末明けの日には、居眠りをする生徒が出ることもありました。そんな肩の力の抜けた空気も含めて、この教室らしさだったように思います。
先生と私だけが男性という教室だったからか、顔を合わせれば、何も言わなくても自然と握手の手が伸びてくる。言葉を交わさなくても、伝わるものがありました。
初めてのカラオケでは、出ない声を懸命に張り上げるだけで精一杯でした。それが翌年には、区のカラオケ教室に通い、日本の演歌に似た曲の数々を、韓国語で口ずさむようになっていました。生徒たちの人生がそのまま歌詞に重なっているのを感じながら、歌を通して、また一つの、韓国での日々が積み重なっていきました。

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