ハ・ジウォンが演じたファン・ジニとタニョンの運命

韓国ドラマ好きな人ならきっとハ・ジウォンが演じたファン・ジニを観たことがあるでしょう。この記事はドラマサンドでタニョンが語るファン・ジニの詩にタニョンの生き方を重ねてみた記事です。

そうすると、ハ・ジウォンが演じたファン・ジニとドラマサンドのタニョンには思わぬ共通点があることが分かりました。まず、どちらも松都(現在の開城)出身でした。

韓国ドラマ商道(サンド)が教えてくれた、ファン・ジニの詩

ドラマサンドを観てる時、私は偶然ある朝鮮の女流詩人の名を知りました。それはサンオクとタニョンの運命の分かれ道となるシーンでした。サンオクとミグムの婚礼が近づいたある日、サンオクはタニョンを呼び出しました。

この時、タニョンは一編の詩を諳んじ、「ファン・ジニが書いた『相思夢』という詩だそうです」、自分の運命もこうなのだと語りました。サンオクは今日会いに来たのは「私と一生を共にしてくれと伝えるためです」と迫りました。

タニョンはしばし考え、「イム都房と私は思い合うだけで結ばれぬ運命なのです」。さらに続けて、「私は都房として、一人の男性だけを思って生きることはできないのです」。そして最後に、涙ながらにこう言い切りました。「私は夢の中で思うことができれば、それで十分です」。

サンオクとタニョンの運命を決定づけるこの場面で引用されたのが、400年以上前に生きた妓生、ファン・ジニ(黄真伊)の詩だったのです。そこで私はファン・ジニという女性がどういう女性だったか知りたくなったのです。

ファン・ジニとはどんな女性だったのか

私が持っているファン・ジニに関する資料は雑誌『季刊三千里』創刊号(1975年)にある尹学準の時調シリーズ「女流詩人・黄真伊」だけです。この記事の、ファン・ジニという女性、逸話についてはそれに基づいてます。

ファン・ジニは李朝中期の女性で、朝鮮の代表的な詩人でした。朝鮮の多くの女流詩人がそうであったように彼女ものちに妓生の道を選ぶことになり、芸名を明月(ミョンウォル)といいました。才色兼備で詩、書、音律にたけて墨画にも造詣が深く、文人や碩儒たちとの交際も深く、その名は全国に響き渡ったと言います。

ファン・ジニは松都で生まれ、松都の名門、黄進士(黄という名の進士)の妾の子として生まれたという説と、歌うたいの盲女の父なし娘として生まれたという説がありますが、いずれにしても賤民の扱いを受ける私生児であったことは間違いないと思います。

しかし、幼い頃からずば抜けて頭がよく、八歳で『千字文』をマスターし、十歳で『烈女伝』を読み『四書五経』を読破したというから、まさに天才少女でありました。のみならず、漢詩をつくり、墨画もやり、琴までたしなんだというから驚きです。

ファン・ジニの逸話1

ファン・ジニについての詳しい記録はあまりなく、生没の年代すら確かでないといいます。散見する資料、交遊の相手からして十六世紀のなかば(李朝十三代・明宗のころ)の人のようです。このような彼女が妓生の世界に飛びこんだのには次のような逸話があります。

ファン・ジニが十五、六歳になり、こぼれるような美しさと才気が四隣に鳴り響くようになると、一人の愚直な男がジニに恋慕のすえ、帰らぬ人となってしまいました。棺車がジニの家の前で動かなくなり、ジニが着ていたチョゴリを棺車の上にかけると動き出したといいます。この噂が広まるとジニは両班の妾になるくらいなら、多くの男を手玉にとれる妓生になると決心したというのです。

次はドラマにも出てくる風流人・碧渓守(ピョクケス)についての逸話です。碧渓守はファン・ジニの名声を聞き、ジニの鼻をへし折ってやろうと所用で松都へむかいました。これを伝え聞いたジニは、碧渓守一行が近づくと琴を引き寄せ次のように歌いました。

緑なす奥山の碧渓水(たにがわみず)よ 行きの早さを誇らざれ
ひとたび海に注ぎなば 帰り来(こ)むことも難きを
足をとどめよ 名月の光は徒(あだ)に山に満づれば

と、碧渓守を碧渓水、つまり山奥の流れの早いせせらぎにたとえ、自分の明月を名月にたとえながら歌いました。さすがの稀代の風流人も降伏せざるをえなかったという話です。

ファン・ジニの逸話2

傲慢な貴族を足下にひれ伏させたファン・ジニでしたが、ただ一人ドラマにも出てくる儒学者・徐敬徳(ソ・ギョンドク)にだけはかぶとをぬがざるをえなかったといいます。ジニはこんどばかりは歌舞音曲だけではかなわぬと思い、肉体ごとぶつける戦術に出ました。

ジニはわざと雨にずぶぬれになり、敬徳の茅屋に帰ってきました。夏のチマ・チョゴリは雨にぬれてぴったりと身体にくっつき、肌をあらわに見せました。乳房や腰の曲線が見事であったといいます。茅屋に入るなり「寒い!」と言って敬徳の胸に飛び込み、あらん限りの嬌態をつくしたのですが、敬徳は動じませんでした。

このエピソードについて多くの野史は、ジニの誘惑に敬徳はまったく動じなかったと記しており、ジニは初めて男に敗北しました。それから彼女は正式に敬徳の門をたたき、学問を学び、漢詩の作法を習い、人生の生き方を学んだと言われています。

尹学準はファン・ジニについて、「最初、妓生の道に入る時は、そもそも動機が動機であっただけに、世の中の男という男はかたっぱしから手玉にとり、籠絡してやろう思ったファン・ジニであったが、しかしそれがいかにつまらないものであるかを知ったにちがいない」と述べています。

ファン・ジニの代表作としての漢詩・「相思夢」

ドラマサンドでタニョンが詠んだファン・ジニの詩は次のようなものです。

原文と書き下し
相思相見只憑夢(相思相見(そうしそうけん)す、 只だ夢に憑(よ)る)
儂訪歡時歡訪儂(儂(われ)歓(かん)を訪う時 、歓も儂を訪う)
願使遙遙他夜夢(願わくは遙々(はるばる)たる他夜(たや)の夢)
一時同作路中途(一時(い時期)同じく作(な)さん路中(ろちゅう)の途(と))

ドラマでのタニョンの読み
夢の中でしか愛せぬ我が運命よ
私が求めるあの方は私を求めて旅立ち
夢の中でもすれ違うばかり
願わくば求め合う路中にて会わんかな

タニョンはサンオクは、夢の中でしか愛せない相手で、現実には結ばれることのない相手なのだということを、この詩を引いて伝えたのです。

タニョンとファン・ジニ、二人の運命の共通点

奇しくもタニョンとファン・ジニは同じ松都出身です。タニョンはジニの詩を読む時、「私が生まれ育った松都には」と切り出しています。ファン・ジニも「ジニは、自分が生まれ育ったこの松都をこよなく愛した」とされています。

ドラマサンドはサンオクの痛快な成功物語が魅力ですが、愛しあっている二人が結ばれないという切なさにも惹かれるところです。タニョンはサンオクを愛するゆえに、あふれる感情を抑えて自分の進べき道をサンオクに伝えたのです。

ファン・ジニも徐敬徳は「徐敬徳の上に男なし、徐敬徳の下に男なし」の存在でありましたが、それほど敬徳に傾倒していたし、生き方においても敬徳の影響を受けていたといいます。ジニの敬徳に対する気持ちは次の時調に表れています。

いつの日われにまことなく 君をたばかりし
月のなき闇の夜半(よわ) 君の来るきざしだになく
秋風に そよぐ葉ずれに 狂おしきわがこころ

官につかえず、山林に隠遁し、悠々自適、楽山楽水の生活を送った敬徳、その師の思想にジニが惹かれたのは、あるいは当然かも知れません。

二人とも愛するがゆえに、愛する人の生き方を第一に考えたのです。

ハ・ジウォンが演じたファン・ジニ(ドラマ「ファン・ジニ」)

2006年制作されたドラマ「ファン・ジニ」でハ・ジウォンは主演を務めています。そして400年前の妓生の世界が鮮やかな衣装と華麗な舞と共に再現されました。ドラマの中では、ファン・ジニのキーセンとしての苦悩や葛藤と共に、2人の男性とのラブストーリーが描かれています。

ハ・ジウォンのファン・ジニ役は絶品で、あでやかな美しい衣装で舞う姿の裏に隠された、妓生として一生を生きなければいけない運命を、目と舞の演技で見事に演じてくれていました。舞は懸命な練習をしたことでしょうが、彼女の天性の運動神経の良さを感じさせるものでした。

私が注目した場面は妓生達が川で水に潜り呼吸の訓練をする場面でした。その時、申潤福(シン・ユンボク、1758年〜没年不明)が描いた「端午風情(タノプンジョン)」という朝鮮時代後期の代表的な風俗画で、端午の日に女性たちが谷川で体を洗ったり、ブランコに乗ったりして楽しむ様子を描いた作品です。

その光景に朝鮮時代の妓生の優雅な生活を観た思いでした。ハ・ジウォンの演じたドラマ「ファン・ジニ」はファン・ジニの華麗ながらも悲しい運命を感動的に描きつつ、400年前の朝鮮の日常を感じさせてくれる作品でした。
(本文中の時調は朝鮮文学者、田中明氏の訳によります)

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