キムチは日本で一番人気のある漬物です。この記事は、その本場、韓国でのキムジャンの体験をまとめたものです。
韓国料理好きの皆さんに、本場のキムジャンの姿を知り、韓国庶民の食文化が意外と新しいものであることを知って頂きたいと思います。
向かいの食堂で見た、キムジャンの光景
韓国留学中の11月下旬の朝、下宿の窓から向かいの食堂に目をやると、いつもと違う光景が広がっていました。店の隣の駐車場に、大きなたらいがいくつも並び、その中には塩漬けにされた白菜が山のように積み上げられていました。数株どころではない、優に百株は超えていそうな量でした。
次の日には、数人の女性たちが総出で作業をしていました。ゴム手袋をはめた手で白菜を一枚一枚めくり、真っ赤なヤンニョム(薬味)を丁寧に塗り込んでいく。あっという間に、真っ白だった白菜が鮮やかな赤に染まっていく。道端は白菜の切れ端で埋め尽くされ、あたり一帯が独特の香りに包まれていました。下宿のおばさんも少し手伝ったと夕食の時言ってました。
これが、韓国の冬の風物詩「キムジャン」でした。一年分のキムチを、家族総出、あるいは近所総出で仕込むこの光景は、韓国では今もなお受け継がれる冬支度の文化です。その日、向かいの食堂の軒先で見た赤と白のコントラストは、今でも鮮明に記憶に残っています。
キムジャンとは何か
キムジャンとは、韓国で晩秋から初冬にかけて行われる、一年分のキムチを一気に漬け込む伝統行事のことです。かつては、厳しい冬を越すための保存食づくりとして、各家庭や地域ぐるみで大量の白菜キムチを仕込む習慣がありました。
一度に漬け込む白菜の量は、家族の人数によっては百株を超えることも珍しくありません。そのため、一家族だけで作業を完結させるのは難しく、親戚や近所同士が総出で助け合いながら作業を進めるのが伝統的なスタイルでした。誰かの家でキムジャンをすれば、翌日は別の家を手伝いに行く、という「お互い様」の精神が根付いていたのです。
この共同作業を通じて食料を分かち合い、地域の絆を深めてきたことが評価され、2013年にはキムジャン文化がユネスコの無形文化遺産に登録されました。単なる「保存食づくり」を超えて、韓国の人々の暮らしと結びつきを象徴する文化として、世界的にも認められているのです。
道峰山で親しくなった韓国の友人は、キムチは乳酸菌が豊富な栄養食品だと自慢してました。その友達を通じて、出来た友人などは、私が日本に一時帰国する際、自家製のキムチ、白菜丸ごと一つをおみやげにくれるのでした。
意外な歴史ー唐辛子はいつ朝鮮に伝わったか
キムチといえば真っ赤な唐辛子のイメージが強いですが、唐辛子はもともと中南米原産の作物です。それがアジアに伝わったのは、大航海時代を経た16世紀のことでした。
朝鮮半島への伝来については、実はいくつかの説が存在します。もっとも広く知られているのが、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役、1592〜1598年)の際に、日本から朝鮮へ持ち込まれたとする説です。日本兵が寒さをしのぐため、唐辛子を靴の中に入れていたことがきっかけだった、という逸話も語り継がれています。
一方で、これとは正反対の説も存在します。江戸時代の日本の文献の中には、逆に「朝鮮出兵の際、朝鮮から日本へ唐辛子が伝わった」と記すものもあり、どちらが先だったのか、実ははっきりしていません。さらに近年では、韓国の研究者たちによる検証が進み、「唐辛子は文禄・慶長の役の際に日本から伝わった」とする説には十分な根拠がないという指摘も出てきています。東南アジアなど、別の経路を通じて朝鮮に伝わった可能性も含め、今も議論が続いているのです。
「赤いキムチ」が定着したのは実は最近?
唐辛子が朝鮮半島に伝わる以前、キムチは唐辛子を使わない白いキムチでした。塩や山椒などで味付けされたシンプルな漬物だったのです。
唐辛子が普及し、今のような真っ赤なキムチが主流になったのは、実はここ100〜150年ほどのことだと言われています。
私たちが「韓国料理といえば赤くて辛い」と思い込んでいるイメージは、朝鮮の長い歴史の中では、むしろ新しい姿だったのです。
私が国立中央図書館に行った際、昼食に食堂に行ったら、真っ赤なキムチが好きなだけ食べられるよう準備されていました。
まとめ
向かいの食堂で目にした、あの真っ赤なキムジャンの光景。何気ない冬の一コマに、実は400年以上前の歴史や、韓国の人々が育んできた「分かち合いの文化」が詰まっていました。
今度キムチを口にする時は、その赤い色の向こうにある物語を、ちょっと思い出してみてください。

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