韓国留学中の三清洞散策-光化門に見た、日本人が守った朝鮮の文化

韓国好きの皆さんならソウルの三清洞には、きっと行かれたことと思います。この記事は韓国留学中に授業の課題のレポートを作るため、三清洞を訪れた時のことをまとめたものです。

多様な背景を持つ3人が、共同作業のつもりで来たのに、食べ歩きになってしまいました。北村韓屋村からのソウルの眺めは最高でした、帰りに通った光化門にも深い思いがあります。

韓国留学中の韓国語クラスのスピーチ課題

韓国語のクラスで、ある課題が出されました。三人一組のグループを作り、テーマを決めてレポートをまとめ、クラスの前で発表するというスピーチ練習です。

私たちのグループが選んだテーマは、「三清洞(サムチョンドン)」でした。景福宮のすぐ東側に広がる、韓屋の街並みとおしゃれなカフェが同居する、ソウルでも人気のエリアです。

レポートの中身は、正直なところ、もうほとんど覚えていません。しかし、あの日、三人で三清洞界隈を歩き回り、あちこちで食べ歩きをしたことだけは、今でも鮮やかに記憶に残っています。

メンバー紹介

このグループには、私を含めて三人の、それぞれ異なる背景を持つメンバーが集まっていました。
一人は、Tさん。日本人女性で、熊本県のご出身なのですが、なぜか進学先に選んだのは秋田県の大学。その経緯を尋ねてみたい気もしましたが、聞きそびれたまま、あの日は終わってしまいました。

もう一人は、Uさん。アメリカのシカゴから来た、在米韓国人の若い女性でした。韓国系アメリカ人として、ルーツである韓国の文化を学ぶために、はるばる海を越えてやってきたのだといいます。

日本の熊本から秋田へ、そしてシカゴから韓国へ。それぞれ全く異なる道のりを歩んできた三人が、たまたま同じ韓国語クラスの、同じグループとして出会う。考えてみれば、これ自体がなかなか不思議な巡り合わせでした。シカゴ育ちの在米韓国人女性と、こうして親しく話す機会など、人生でそう何度もあるものではないでしょう。

調査のはずが、食べ歩きに

三清洞の取材という名目で外に出たものの、私たちの足は、いつの間にか食べ物に向かっていました。

お昼どきに立ち寄ったレストランで、私はカルクックス(칼국수)を注文しました。手打ちの麺を包丁で切って作る、韓国の家庭的な麺料理です。温かいスープが染み渡り、歩き疲れた体にちょうど良い一品でした。

その後、三人で足を運んだのが、ハーゲンダッツのお店でした。示し合わせたわけでもないのに、三人とも同じアイスクリームを選び、テーブルを囲んで頬張りました。三清洞の取材は少しばかりになり、気の合う仲間と過ごす、ただ楽しいだけの時間になっていたのです。

レポートのための調査という建前は、義理程度にこなしつつも、あの時の私たちにとっては、これこそが正しい「三清洞の楽しみ方」だったのかもしれません。

北村韓屋村からの眺め

食べ歩きの合間に立ち寄ったのが、北村韓屋村(プッチョンハノクマウル)でした。伝統的な韓屋が軒を連ねる、細い坂道が続くこの一帯は、三清洞のすぐ近くに位置しています。

あいにくその日は雨模様でしたが、傘を差しながら坂道を上っていくと、瓦屋根の連なりの向こうに、ソウルの街並みが一望できる場所に出ました。伝統的な韓屋のかわら越しに広がる、高層ビルの立ち並ぶ近代的な景色。古いものと新しいものが、同じ視界の中に共存している、そんな眺めでした。

三人で並んで写真を撮りながら、しばしその景色に見入っていました。レポートの中身は忘れてしまっても、あの坂道から見たソウルの景色だけは、今も鮮明に思い出すことができます。

光化門で思い出した、柳宗悦の物語

北村韓屋村を後にして、私たちは景福宮の正門である光化門(クァンファムン)の前を通りかかりました。堂々とそびえるその姿を見上げながら、私はふと、以前どこかで読んだ話を思い出していました。

日本統治時代、朝鮮総督府庁舎の建設にあたり、この光化門は取り壊される計画が持ち上がっていました。しかし、それに強く反対したのが、日本の思想家であり、民藝運動の父としても知られる柳宗悦(やなぎ むねよし)でした。1922年、柳は雑誌『改造』に「失われんとする一朝鮮建築のために」という論文を発表し、朝鮮の美しい建築が失われることへの深い悲しみと抗議を綴ったのです。

この論文は大きな反響を呼び、結果として光化門は取り壊しを免れ、位置を移して保存されることになりました。支配する側の国の人間でありながら、朝鮮の文化そのものに深い敬意を払い、それを守ろうとした柳の行動は、以前調べた浅川巧の生き方とも、どこか通じるものがあります。

目の前にそびえる光化門が、もしあの時取り壊されていたら、今こうして私たちが写真を撮ることも、その下を通り過ぎることもできなかったのかもしれない。そう思うと、何気なく見上げていたこの門が、急に重みを持って感じられたのでした。

まとめ

三清洞のレポートのために出かけたはずが、気づけばカルクックスを食べ、アイスクリームを頬張り、北村韓屋村の坂道から街を眺め、光化門の前で歴史に思いを馳せる一日になっていました

肝心のレポートの中身は、もうほとんど記憶にありません。それでも、熊本から秋田へ進んだTさんと、シカゴから来たUさんという、それぞれ違う道を歩んできた仲間と過ごしたあの時間は、今も色褪せることなく心に残っています。

課題のための調査が、いつの間にか忘れられない思い出に変わる。そんな瞬間こそ、留学生活の醍醐味だったのかもしれません。

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