留学中、KBSのニュースで見たある報道が、今も強く印象に残っています。今回は、そのニュースをきっかけに関心を持った、脱北者(北朝鮮からの離脱住民)について綴ります。
統計や状況については、韓国統一部などの公的な発表や報道に基づいて紹介し、北朝鮮という体制そのものへの評価は加えないようにしています。
累計3万人を超えた、脱北者の入国者数
韓国統一部の発表によると、法律に基づく集計が始まった1997年以降、韓国に入国した脱北者の累計数は、2025年末の時点で3万4,500人余りにのぼります。
年ごとの推移を見ると、2009年には年間2,914人と最も多く入国していましたが、2012年に金正恩体制が発足して以降、国境の統制が強化され、入国者数は大きく減少しました。
新型コロナウイルスの流行時には、年間数十人という水準にまで落ち込み、コロナ収束後も、以前のような回復は見られていません。
2025年の入国者は223人で、その多くは北朝鮮から直接ではなく、中国など第三国に長期間滞在した後、時間をかけて韓国へたどり着いた人々だといいます。もともと女性の割合が高いことも、大きな特徴です。
なお、韓国国内では、従来使われてきた「脱北民」という呼び方に否定的なニュアンスがあるとして、より中立的な呼称への変更が模索されてきました。
2000年代半ば頃からは「새터민(セトミン、新しい土地の人々の意)」という呼称が使われ始め、その後も「북향민(プクヒャンミン、故郷が北にある人々の意)」といった表現が検討されるなど、呼び方そのものを見直す動きが続いています。
2026年には、統一部が対外的な英語表記を改めるなど、この模索は現在も進行中です。
命がけの脱北、そしてその後の韓国生活
脱北そのものが命がけであることは、想像に難くありません。しかし、韓国にたどり着いた後の生活もまた、決して平坦ではないようです。
統一部と定着支援機関の調査によると、脱北者の平均月収は、一般的な韓国人の3分の2程度にとどまるといいます。自分自身を「社会の下層だ」と感じている人の割合も、少なくないと報告されています。
韓国政府は、入国した脱北者に対して、一定期間の保護・定着支援を行っていますが、この支援は法律上、入国後5年間に限られています。
支援の枠外に置かれる高齢の脱北者が増えていることも、近年新たな課題として指摘されています。身寄りのない一人暮らしの世帯も多く、孤独死という形で最期を迎えるケースが報じられることもあります。
命がけで自由を求めてたどり着いた先で、こうした孤立に直面する人々がいるという現実は、留学中に知った中でも、特に胸に残った話の一つでした。
丹東の縫製工場と、北朝鮮の若い女性たち
留学中、KBSのニュースで見たのが、中国・丹東(タントン)市にある縫製工場の話でした。丹東は、압록강(アムノッカン、鴨緑江)を挟んで北朝鮮と接する街です。
この工場では、アメリカ向けに輸出するスポーツウェアが作られており、北朝鮮から来た若い女性が400人ほど働いているとのことでした。
彼女たちの月給は30万ウォン。そのうち70%は北朝鮮の労働機関へ送金され、手元に残るのは30%だといいます。それでも、北朝鮮国内での月給(2,000ウォン程度とされていました)と比べると、約40倍にあたる金額になるとのことでした。
安く質の良い労働力を求める中国側と、外貨を必要とする北朝鮮側の思惑が重なり、年間6万人ほどの女性たちがこうした形で中国に渡ってくると、ニュースは伝えていました。
彼女たちの労働時間は1日12時間で、目や首の痛みを訴える人もいるといいます。会社から支給される昼食は、ご飯と汁物、おかず二品。宿舎は工場の2階にあり、4人一部屋にベッドと小さな机があるだけの環境でした。
入国には厳しい審査があり、個人的な外出も禁じられているため、宿舎だけが彼女たちの唯一の休息の場となっているとのことでした。
今の時代に、こうした生活を送る若い女性たちがいるのかと思うと、胸が締め付けられる思いがしました。
それでも、雪の積もった庭に昼休みで一斉に出てきた彼女たちが、インタビューに対して明るく答えていたのが、印象に残っています。
留学を通して知った、もう一つの東アジア
普通に観光しているだけでは、決して知ることのなかった話だと思います。韓国という国で1年間を過ごす中で、こうしたニュースに触れ、隣国の複雑な現実の一端を知ることができたのも、留学ならではの経験だったと感じています。

コメント